京都府大山崎町で5月27日、国宝茶室の待庵や聴竹居(ちょうちくきょ)などを巡るまち歩きツアー「講師と巡るハイグレードな大山崎探訪」が行われた。主催は大山崎商工会。
聴竹居倶楽部メンバーで、30年以上にわたり大山崎の歴史を研究してきた郷土史家・林亨さんが大山崎の歴史や文化遺産を案内する人気のツアーで、今年で6年目になる。
当日は事前予約した23人が参加。林さんは「このツアーは女性の方の参加者が多い。多い時には参加者の8割が女性の方。雑誌などでも特集されて人気の聴竹居と、待庵を同時に観られるお得感もあるようだ。遠方からの参加者も多く、今回は沖縄や熊本からの方がいらっしゃる」と話す。
この日は、妙喜庵の国宝茶室の待庵からスタート。林さんは「大山崎は歴史的に交通の要だった場所。そのきっかけは、奈良時代の僧侶・行基が掛けた『山崎橋』。この橋の誕生が、平城京と太宰府を結ぶ西国街道の中継点になり、その後の発展していく礎となった」と大山崎の歴史を説明。土佐日記を書いた紀貫之が大山崎に立ち寄った逸話なども紹介した。
「待庵は千利休が建てた茶室で唯一、現存している建物。妙喜庵の三代目住職の功叔士紡が利休の弟子だった縁で、山崎の利休屋敷にあった待庵を譲り受け、江戸時代に現在地に移設された」と解説。その後、参加者が待庵を見学した。
続いて立ち寄った離宮八幡宮では「エゴマ油の搾油や販売の権利を独占した油座によって大山崎は大いに潤い、長者だらけだった」と説明。重要文化財の「足利義満が租税を免状することを許可した文書」「当時の美濃国司が不破関の通行料を免除する文書」などが特別に披露された。
その後、訪れた聴竹居では「聴竹居は89年前に藤井厚二が建てた世界初の環境共生住宅。藤井は『8人が快適に暮らせること』『客間(客室)は極力狭く、家族のだんらんの居間(居室)を大きくする』『暖房と調理などのオール電化』『客間は極力狭く、家族のだんらんの居間を大きくする』『京都の夏は暑いので風通しが良い家』を目指した。縁側の床には日向松など最高の材料を使い、それを酒徳金之助という最高の宮大工が仕上げた」と林さん。
その後、宝積寺(ほうしゃくじ)では閻魔(えんま)大王像を見学。最後に訪れたアサヒビール大山崎山荘美術館では「山荘を建てた加賀正太郎と夏目漱石のやり取り」「竹鶴政孝が山崎に住んでいた際、妻のリタが加賀の妻に英語を教えていた」「竹鶴が大日本果汁(後のニッカウヰスキー)を創業する際、加賀は最初、出資を断ったが、最終的に出資した」などの話を聞き、ツアーは終了した。
林さんは「大山崎には魅力的な文化遺産が多くある。ツアーを通して、少しでも多くの方にその魅力が伝わるとうれしい。秋にも同様のツアーを行うので、ぜひお越しいただけたら」と呼び掛ける。
ツアーの募集は聴竹居や大山崎商工会のホームページで行う。