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【特別対談】 競歩・山西利和さん×原田隆史さん「東京五輪の敗北 次への飛躍に必要だった原田メソッド」 (連載特集2)

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連載1回目の記事はこちら

―中学の陸上部のお話以外に何か事例があれば教えてください。

原田さん 以前、京都大学アメリカンフットボール部 GANGSTERSから講義とコーチングの依頼がありました。
かつて京大アメフト部は、水野弥一さんという監督をされていた方がいた。水野さんは防衛大学でアメフトと出会い中退後、京大工学部に入学後にアメフト部に入って、70年代~90年代の京大アメフト部全盛期を築かれた方です。水野さんは防衛大学時代に戦術戦略論や孫子の兵法を学ばれていて、僕も大好きですよ。

運動素人の集団でお金もない京都大学が日本一になれた理由を「自分というものにベクトルを設けて、そこを練習という修行の中で勝った」と、僕と同じことを水野さんが仰ってるんですね。
つまり「アメフトは戦術戦略で勝つと言われていますが、そうではないところが実は大事。運動能力も高くないし弱いから頭脳で勝ってやろうと小手先で戦いがち。それでは永遠に成長できないし勝てない、自分たちはやれる、できるを再生して欲しい」という話で、僕が呼ばれた訳です。実際、指導に入った当時はそういう空気も感じたので、それをひっくり返しました。

今日の話の中で一番そこに流れるのは、山西さんに何を見てきたかです。
彼は求道者です。絶対的な自分と向き合って成長させ続けて、その厳しさで世界にでた。僕らはそれを応援する。僕らが思う理想の人物像が山西さんなんです。
それは現代が忘れてきたことでもあるんですよ。先に行けば何かある、もっといいことがあると逃げて自分と向き合って厳しく修行するということを嫌がる。働き方改革、時短の影響で、本当の成長のためにはじっくりと自分と向き合うことを忘れてしまっている。そこに一服の清涼剤としてインパクトを入れるのは彼しかないと思います。


金メダルになって当然の結果と僕は思ってますし、この先も結果を残すんじゃないかな。多分、求道者である限りはそういうことなんですよ。中学生の子どもでも大人のオリンピック選手でも結果を出している人は同じように考えて生きている。そこを彼の生きざまを通じて訴えたいですね。


―では、山西さんがやっぱり原田メソッドと出会ったきっかけ、それを何か導入しようと思った理由をお聞きしたいです。

山西選手 はい。まず大前提とし、私は高校の頃の恩師の船越康平先生が、原田先生の「教師塾」の塾生だったんですね。そこが最初の入りといいますか、なので高校時代に私が受けていた指導の中にも原田先生のお考えやイズムが入っていたと思います。

なのでそういう背景と、東京五輪が終わってこれからどうしていこうか、陸上の世界は他のスポーツに比べるとメンタルトレーニングが結構入ってないので、それを取り入れてこうと思ったことがきっかけです。

 

―東京五輪後ということで、少しお話を五輪に戻らせていただいていいですか。東京で五輪があるということは大きな目標であったと思うんですけど、その思いや銅メダルだったっていう結果についてはいかがでしょうか。

山西選手 そうですね。銅メダルという結果については、当然もうずっと金メダルと言い続けてきて、それこそ大学に入って競技するぞという言い出した頃からずっと東京五輪と言い続けてきたので、負けてしまったという現実を受け入れてはいるんですけど、どこか他人ごとのように見つめてる自分がいました。

もう終わってしまったので取り戻せないですし、自分としてはこれ以上何か変えることがほとんどないぐらいやって、その上で負けたっていう事実を受け入れてはいるけれども、本当に冷静にみて、ここはどうしようもないしなっていう自分もいたってそんな感じでした。

これまでは東京五輪は、ど真ん中にあったんだと思います。多分日本のアスリートほとんどがそうだと思うんですけど、特に僕らなんかずっと五輪という大きなビッグイベントが、それこそ思春期の頃にちょうど現れて、そこから7年か8年間、東京五輪のためにスポーツしてますぐらいのそんな人も多かったと思いますし僕も多分その中の1人でした。
終わりました。次に何を生み出していくとか、「東京がダメだったので次はパリです」ってそういう話は多分ないんですよ。東京五輪とパラリンピックは、おそらく僕の人生の中のポジションが違うんですね。


―それをやっぱり変えていくためのきっかけとして、やっぱり何か取り入れていかないといけない、メンタルトレーニングも大事というのがあった上での原田メソッドだったのでしょうか。

山西選手 じゃあ次にこう進んでいくときに、どういう設定というかマインドセットをして、そこにパリとかその先に向かっていくのかっていう、そこも含めて行動していこうかな。そのためにはどんなことをしていく必要があるのかなっていうことを考えたときに何か新しいことをしていかないといけない。これまで以上のものをしていかないと、今までの自分のその枠から出ていくというか枠自体を広げていかないといけない、そういうフェーズに入ってきているなと感じたんですね。


―ありがとうございます。原田さんは山西選手からお話があった時はいかがでしたか?
原田さん 伏見の京都工学院高校の教職員研修を頼まれたんですよ。先ほど山西さんの高校時代の話がありましたけど、当時の顧問、船越先生が京都工学院高校の教頭先生でして山西さんを紹介されました。そして山西さんが、教職員に混じって学びに来られていたんですよ。

熱心に勉強されていて、すごいなと思ってみていました。で終わってから挨拶された時に、「勉強しますか?やりましょうよ」ということでスタートしました。最初のファーストコンタクトが、チャラチャラしていない。我々のテーマである主体変容、つまり結果とか何かを生み出すことを、自分に向けきれている人であるなというのはすぐわかりました。


今日もそうですがとても謙虚です。だからご家族の教育と愛情でしょうね。お父さん、お母さんとかが育ててこられた彼の人格がね、非常に人として魅力がある、伸びるじゃないですか、そういう人。だから、この人はやれるなと思ったって、そういう感じですね。
 

―新しい取り組みが始まった今年の位置付けや、そこからの目標設定について教えてください。
山西選手 世界陸上は今年、来年が続いててさらにパリ五輪なので、イベントが3年続くんですけれども、一つもこぼさないようにしていきたいというような、そのあたりのスタートラインとして位置付けました。

―実際に学ばれてから、学ばれる前と学ばれた後で何か変わったことはありましたか?

山西選手 そうですね。改めて、自分のイメージであるとか、理想とする形を膨らませた上で、そこに追いついていくために何が必要かと落とし込んでいく、そういうプロセスを踏ませていただいた。まず描く、そこに対してそれを追いかけて、1個ずつ実現していく。何が必要か、逆算しやすさそれで今やっていくことが決まった。そういうプロセスですね。

―原田さんにお聞きしたいのですが、別の記事で山西さんのオープンウィンドウ64はすごいっていう記事があったんですけど、それは何がすごかったんでしょうか?
原田さん オープンウィンドウ64というのは、私が開発し、大谷翔平で有名になりましたが、作り方にテクニックが存在するんですよ、真ん中の8個が基礎思考と言って、世界陸上金メダルに影響を及ぼす柱のような8個ですね。周りの64個がそれを具現化、具体化するための行動。真ん中の目標の成功や達成のために日々自分が実践できることを、自分にベクトルを向けて行動を変えていくという実践思考。わかっているつもりでも、実際開いたら開けなかったりピント外れですね。

具体的な行動になってないとか、概念ばかり追いかけていたりする。なぜそういうことが起きるというと、主体者意識が欠如してる人っていうのは、自分を変えていくとか、求道的に自分を絶対的に変化させて自分を変えて勝負するという考えがない人は、外のことばかりに逃げるわけ。コーチを変えようとか何とかね、それ見たときに一発で分かるんですよ。

山西選手の用紙を見たときに、まず絶対的に自分を鍛えて変化させるという決意が感じられました。我々コーチは普通その考え方に持っていくために、教えるんです。しかし、山西さんからは初めからそういうものが見て取れるから、これはいけると思いました。それともう一つは、山西さんのオープンウインドウ64は、他の世界中の競歩の選手に見せたら、これはやばいよねっていうぐらいの精度がありましたね。
結果を出す人特有の思考と真剣に生きる態度と姿勢が初めから出ていたということに驚き、びっくりしたというのが僕の本心です。

大谷翔平選手が花巻東高校1年生の12月6日に書いたオープンウインドウ64が有名になりましたが、それよりも更に実践的でレベルの高い用紙です。子供たちやみなさんのお手本になると思います。

それ見たときにびっくりしたんですよ。もうすごいな、分かってるなという感じですね。

山西利和
京都府長岡京市出身。京都大学卒業
京都市立堀川高等学校進学後、競歩競技と出会い、京都大学在学中の2018年のジャカルタアジア大会で銀メダルを獲得。卒業後は愛知製鋼に入社し、2019年のカタール・ドーハ世界選手権の男子20キロ競歩で優勝。東京五輪代表に内定。2021年の東京五輪では銅メダルを獲得。2022年のオレゴン世界陸上では日本人選手初の2大会連続優勝を果たした。

原田隆史
大阪市生まれ。奈良教育大学卒業後、大阪市内の公立中学校に20年間勤務。保健体育指導、生徒指導に注力、問題を抱える教育現場を次々と立て直し、「生活指導の神様」と呼ばれる。
独自の育成手法「原田メソッド」により、勤務3校目の陸上競技部を7年間で13回の日本一に導く。

大阪市教職員退職後、大学講師を経て、2008年に起業。
「原田メソッド」に多くの企業経営者が注目し、武田薬品工業、三菱UFJ信託銀行、ユニクロ、カネボウ化粧品、神戸マツダ、住友生命保険、野村証券、キリンビール、損害保険ジャパン、高島屋、ジブラルタ生命、大阪ガス、パナソニックシステムデザイン、イーライリリー、横浜インターコンチネンタルホテルなどの企業研修・人材育成を歴任。
これまでに約500社、10万人のビジネスマンを指導した実績を持つ。
芸能人、プロアスリート、プロスポーツチームやオリンピック選手のコーチング・メンタルトレーニング指導もおこなう。
現在も、家庭教育・学校・企業の人材育成、講演・研修活動、テレビ出演、執筆活動など幅広い分野で活躍中。著書多数。

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