伏見連続講座のセミナー「明治天皇陵はどこに~東京か伏見桃山か~」が12月1日、京都市伏見区役所で行われた。講師は明治神宮国際神道文化研究所の今泉宜子さん。主催は伏見城研究会。
今回のセミナーは、伏見史を研究する団体、伏見城研究会の若林正博さんが「明治天皇が崩御した直後、『天皇陵を東京』という活動があった話や、それが明治神宮創建につながった歴史的経緯を講演してほしい」という呼び掛けで実現した。
若林さんは「今泉さんの著書、明治神宮 『伝統』を創った大プロジェクト(新潮選書)を読んだことがきっかけ。伏見の視点として明治天皇陵(伏見桃山陵)ができた経緯は研究してきたが、伏見の歴史を掘り下げる時、東京など他の都市の動きを見ることでより俯瞰(ふかん)できる」と話す。
当日は定員を上回る300人が参加した。若林さんが冒頭で「明治天皇陵は伏見城本丸跡に造営された。御陵は1912(大正元)年、230段の大階段は1920年と段階的に整備された」と概略を説明し、今泉さんにバトンタッチした。
今泉さんはまず「1912年7月30日0時43分に明治天皇が崩御した直後、渋沢栄一と娘婿で当時の東京市長だった阪谷芳郎が中心となり、民間有志の東京に天皇陵造営する請願を政府に働き掛けた」「明治天皇の遺志で伏見桃山に天皇陵造営が決定。そこから活動を明治神宮創建へと舵を切ることになった」と当日の慌ただしい状況を、東京日日新聞や読売新聞の記事を交えて紹介。
続いて「京都には陵墓や天皇家と結びつきが深い寺社が多数あるが、東京にはない。首都としての品格を求める声が、明治神宮の東京招致運動の原動力になった」「渋沢たちの計画では内苑は代々木、外苑は青山練兵場に造営すること、表参道や神宮の森の造営計画も盛り込み、全て実現した」と説明した。
休憩を挟んだ後半には、全国から10万本の献木があり、その植樹に全国から集まった11万人の青年団が特別奉仕した神宮の森の造営を解説。その中で森づくりについて、「100年後を見据え、主林木は『関東の気候に適した木』『当時社会問題化していた工場の煙害に耐えられること』『人が手を加えず天然更新されること』などの理由から、カシ、シイ、クスなどの常緑広葉樹を選定した」と説明。
現在の森の状況については「1970(昭和45)年~72年、2011年~12年に樹木調査を行った結果、初期の森づくりのために植えた針葉樹が5019本から1713本に減った一方で常緑広葉樹が増え、森林の高さが30メートルを超すなど、計画通りに人工林から自然林に移行している。生物の種類も1101種類から2845種類に増え、絶滅危惧種の動物も定住している」と話す。
今泉さんは「外苑で行われた大喪の儀の後、明治天皇の棺は列車で伏見に向かった。東京の明治神宮と伏見の明治天皇陵はつながっており、対の関係とも言える。伏見視点のセミナーも、明治神宮で開催できたら面白いと思う。明治神宮は2020年には創建100周年を迎える。造営に関わった先人たちに思いをはせながら、足を運んでいただけたら」と呼び掛け、セミナーは終了した。