6月に城南宮で展示された「伏見御屋敷惣絵図(薩摩藩伏見屋敷の平面図)」に記入されている「大工方 儀兵衛」が、伏見の旧家・山本家の祖先に当たる「茨木屋儀兵衛」であることが分かった。
山本家は江戸期には伏見で宮大工を営んでいた家筋で、江戸後期に材木商、両替商や質商など事業を拡大。代々、御香宮神社の氏子総代を務めるなど、月桂冠(げっけいかん)の大倉家と並ぶ伏見の名門家として知られる。
現当主の山本英藏さんによると、「戸籍や過去帳をさかのぼると、江戸期まで『茨木屋』の屋号を名乗っていたことが分かった。伏見の親戚筋と協力して『山本家のルーツを探ろう』と家系図を作ったのが、伏見御屋敷惣絵図との関連が判明したきっかけ」と話す。
戸籍でさかのぼれるのは山本さんの4代前の「茨木屋儀兵衛熊治郎」。1814(文化11)年に生まれ、1895(明治28)年に没するまで、1840(天保11)年の淀・妙教寺の本堂の普請にも携わるなど、宮大工として活躍した。
山本さんは「数年前に妙教寺の住職・松井遠妙さんと連絡を取り、わが家に残る妙教寺の本堂普請に関する書類をお持ちした。書類には茨木屋儀兵衛の名前で普請の申請がされており、本堂の指図(図面)が書かれている。今回、伏見御屋敷惣絵図に儀兵衛の名前が書かれており、図が描かれた1786(天明6)年という年号を時代考証すると、熊治郎の父親である可能性が高いと判断した」と解説する。
山本さんは「自分は祖父から、茨城屋の屋号や祖先の話を口頭で聞いて育った。伝承と思っていた話が、このような形でつながっていくのは大変光栄でうれしい。伏見には、まだまだ眠っている歴史があると思うので、掘り起こしていければ」と話す。