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京都・伏見で幻の鉄道計画「新京阪山科線」たどるまち歩き

新京阪山科線分岐の痕跡が残る阪急京都線・西向日駅

新京阪山科線分岐の痕跡が残る阪急京都線・西向日駅

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 京都府向日市と京都市山科区を結ぶ幻の鉄道計画として知られる「幻の新京阪山科線」をたどるまち歩きが4月22日、向日市・伏見区間で行われた。主催は伏見経済新聞。

幻の新京阪山科線の路線図

 伏見城研究会の会員の若林正博さんが、講師とガイド役を務めた。

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 新京阪鉄道(現阪急京都線)は「京都市内の地下への乗り入れ(日本初の架線・集電地下鉄)」「関西初の高架線(大阪市天神橋筋六丁目付近)」「国鉄特急・燕を追い越すスピード」などをミッションに掲げた、当時の常識を覆す超近代的な鉄道会社として計画された鉄道。

 新京阪山科線は西向日町駅(現・阪急京都線・西向日駅)から分岐。伏見区の久我(こが)、下鳥羽、京都パルスプラザ付近、竹田、深草、名神高速近辺、勧修寺を通り、六地蔵から分岐する計画路線の京阪六地蔵線と山科で合流する予定だった。

 若林さんは京都や伏見の歴史研究の第一人者で、鉄道史にも精通しており数々の論文を発表している。これまで、向日市や伏見区で「新京阪山科線」などの鉄道史セミナーを行ってきた。その模様を掲載した伏見経済新聞でも、大きな反響を呼んだ。

 今回のまち歩きは伏見経済新聞と伏見城研究会が共同で企画。応募した10人が参加して行われた。

 この日は阪急京都線・西向日駅からスタート。若林さんは「西向日は分岐駅だったので、用地や周辺の住宅などに痕跡を見つけることができる。東改札口の線路沿いは、阪急名前の入った境界標が多数残っており、それをたどることで分岐予定だった線路や駅の規模が分かる。周辺の住宅も計画的に整備され、もしこの路線ができていたら、西宮北口のような雰囲気になっていたのではないか」と解説する。

 丘陵地帯を下った久我では「この辺りは現在の行政区は伏見区だが、かつては向日市と同じ乙訓郡に属していた。京都盆地の中でも低い場所に位置する。そのため近世は、川の水が氾濫することも多く、この地区の家は石垣で一段高くなっている。また、田園が広がっている場所では、周囲の山並みの様子など、360度のパノラマを楽しめる」と若林さん。

 桂川では「桂川が旧乙訓郡と旧紀伊郡の境界だった。もし路線が開通していたら、この辺りは大阪と鉄道で直結するため、発展の仕方も全く違ったはず。伏見区に編入されず、向日市と合併していた可能性もある」と話す。

 その後、一行は、京都パルスプラザ、竹田を通り、今回の最終目的地の深草に到着した。

 若林さんは「本来の路線は、深草を抜けて山科で京阪六地蔵線と合流。その先の大津市の膳所(ぜぜ)まで延伸する計画だった。さらにその東には、名古屋急行電鉄が膳所・名古屋(金山)間を結ぶ新路線を計画。京阪六地蔵線と乗り入れする予定だった」「計画全体としては、戦前に大阪(天神橋筋六丁目)・名古屋間を2時間で結ぶという壮大な計画だったが、最終的には昭和恐慌によって計画が頓挫した」と解説。

 「土地買収にまで至らない箇所が大半だったので痕跡は少ないが、『ここにもし走っていたら』と想像するのも鉄道を楽しむ方法なので、また機会があれば参加していただければ」と呼び掛けた。

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