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京都・向日市で鉄道史セミナー 大阪・伏見・名古屋間結ぶ壮大な戦前の鉄道計画など語る

新京阪山科線、京阪六地蔵線などの計画路線図

新京阪山科線、京阪六地蔵線などの計画路線図

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 京都府向日市の向日市文化資料館(京都府向日市 寺戸町南垣内)で12月4日、鉄道史のセミナー「乙訓における戦前の鉄道計画~新京阪山科線と洛西線~」が行われた。講師は京都府立京都学・歴彩館(旧・京都府立総合資料館)の若林正博さん。

新京阪の路線図パンフレット

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 向日市文化資料館では企画展「観光乙訓事始(かんこうおとくにことはじめ)part Ⅱ」が行われている。文化資料館・館長の玉城玲子さんは「100年前、鉄道が敷設されたことによって近郊への観光ブームが起こった。そのブームは旧乙訓郡=向日市、長岡京市、大山崎町(京都市伏見区、西京区、南区の一部を含む)へも大きな影響を与え、新たな鉄道計画などが立て続けに申請された。展示では当時の鉄道会社の観光パンフレットや楊谷寺、長岡天満宮の古写真が展示されている。今回のセミナーはその一環」と話す。

 若林さんは京都や伏見の歴史研究の第一人者で、鉄道史にも精通しており数々の論文を発表している。

 セミナーは定員を超える86人が参加して行われた。まず「当時の電鉄会社は鉄道以外に電力供給も行っていた。京阪電鉄は淀川東岸の鉄道以外にも和歌山や三島(大阪府高槻市や島本町)にも電力供給していた。新京阪(現・阪急京都線)を淀川西岸に作ったきっかけは、大阪・神戸間で、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)と阪神電車の競合が激化する状況を見て。京都・大阪間は淀川両岸ともに自社グループで抑えることで他社の介入を避ける戦略だった」と当時の電鉄会社の勢力図や戦略を解説。

 「新京阪は『京都市内の地下への乗り入れ(日本初の架線・集電地下鉄)』『関西初の高架線(大阪市天神橋筋六丁目付近)』『国鉄特急・燕を追い越すスピード』などをミッションに掲げた、当時の常識を覆す超近代的な鉄道会社として計画された。その壮大な計画が実現した背景には1928(昭和3)年に京都で行われた昭和の大礼(昭和天皇の即位式)」があるという。

 「昭和の大礼が行われた当時、大臣や省庁も京都に移転して、閣議も京都府庁で行われた。全国から人と物資が集まる国を挙げての一大イベントだった。日本の戦後の交通網の歴史を見ても、東京オリンピックや大阪万博などのイベントに合わせて鉄道や高速道路などの交通網が整備されている」とも。

 京阪・新京阪グループは同年、さらに壮大な計画を掲げ当時の鉄道省に申請する。新京阪は西向日町駅(現・阪急京都線西向日駅)から分岐、伏見区の久我(こが)、パルスプラザ付近、深草、名神高速近辺、観修寺、山科を通り、六地蔵から分岐した京阪六地蔵線と山科で合流する新京阪山科線を計画。

 若林さんは「自宅がある伏見から向日市まで、直線距離だと本当に近いが京阪と阪急を乗り継いで40分以上かかった。もし山科線が実現していたら乙訓から伏見、山科へ10分程度で移動できた。交通網だけではなく伏見区に編入された羽束師(はずかし)村など旧乙訓郡の所属自治体も変わっていた可能性もある。計画では現在、名神高速が走っている旧東海道本線跡を山科線が通っているので、名神のルートも変わっていたはず」という。

 新京阪山科線と合流した京阪六地蔵線は、大津市の膳所(ぜぜ)まで延伸する計画だった。さらにその東には、名古屋急行電鉄が膳所・名古屋(金山)間を結ぶ新路線を計画。京阪六地蔵線と乗り入れする予定だった。

 「計画全体としては、戦前に大阪(天神橋筋六丁目)・名古屋間を2時間で結ぶという壮大な計画だった。最終的に昭和恐慌の影響により、まず膳所・名古屋間が頓挫。そこで計画自体の目的や戦略に大きな狂いが生じた京阪六地蔵線が起業廃止。それに連鎖する形で新京阪山科線も1937(昭和12)年起業廃止を出願し認められて、すべての計画が幻となった」と話す。

 その後、太平洋戦争の激化に伴い、国策で京阪・新京阪グループは阪神急行(阪急)と合併。戦後の1949(昭和24)年に、京阪が独立する形で分離。新京阪はそのまま阪神急行(阪急)に残り、現在の阪急京都線として京阪本線と競合関係となっている。

 若林さんは「鉄道史やスポーツ史では、根拠がなく信頼度の低い情報が通説として語られ、書籍で書かれているケースが多い。私の講演資料は、基本的に京都府などの文献史料を基にしていることが特徴。今回の資料も京都府や滋賀県に出願された、京阪や新京阪の出願資料を基にしている。通説では名古屋急行の膳所・名古屋間は、滋賀県八日市手前から東に進路をとり、大きく遠回りする形で三重県菰野を通過する計画だったとされている。しかし滋賀県庁の資料を読み解いていくと、滋賀から名古屋まではほぼ直線で出願されている。大阪・名古屋間も新京阪単独ではなく複数の会社を経由する形だった。このように資料を正しくよも解くことで、通説とは全く異なる『歴史の真実』が見えてくる。そのような歴史研究の姿があることを広めていきたいし、学んでいただきたい」と呼び掛ける。

 「観光乙訓事始(かんこうおとくにことはじめ)part Ⅱ」の開催時間は10時~18時(入館は17時30分まで)。月曜、12月28日~来年1月4日・10日・11日休館。来年1月15日まで。

 12月18日に第2回講座「初詣は鉄道とともに生まれ育った!?~鉄道と社寺参詣の近代史~」が行われる。日時12月18日14時~16時。講師は平山昇さん(九州産業大学商学部観光産業学科准教授)。申し込みは同館(TEL 075-931-1182)まで。

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