京都市伏見区の国立京都教育大学(京都市伏見区深草藤森町)で1月27日、公開講演会「京都教育大学の歴史―京都府師範学校創立140年―『まなびの森ミュージアムの所蔵資料で振り返る 京都教育大学の歴史』が行われた。講師は同大学教育学部 社会学科准教授の吉江崇(たかし)さん。吉江さんは「まなびの森ミュージアム」の次長も務める。
京都教育大学は1876(明治9)年、京都府師範学校として創立され、2016年で創立140年になる。同大学では毎年3回シリーズの公開講演会を行っており、2016年度は「京都教育大学の歴史を振り返る」をテーマにこれまで「伏見の陸軍と住民」「歴史としての京教に出会う」などの講演会を行ってきた。今回は同シリーズの3回目。
同大学のある深草・藤森地区は、かつて陸軍の第16師団が設置されていた場所で、同大学は「歩兵第九聯隊跡」に1957(昭和32)年に移転した。隣接する国立病院機構京都医療センターは、京都第一陸軍病院跡地。また第16師団司令部庁舎が現在の聖母女学院本館に、師団練兵場跡が龍谷大学・京都府警警察学校などに利用されている。
この日の講演会は、住民など50人が参加して行われた。吉江さんは「まなびの森ミュージアムは同大学が所蔵する師範学校以来の教材・教具・作品を展示・紹介する施設として2011年にオープン。『旧陸軍第19旅団司令部』だった遺構で、同大学内に残る唯一の陸軍時代の施設」と説明。1909(明治42)年に日本楽器製造(現ヤマハ)で製造された足踏み式オルガンや、戦前に在校生が寄贈してそのまま生物室に眠っていた「エジプトのミイラ」などの展示資料の紹介を交えながら、同大学の沿革を解説した。
続いて「草木の標本作製方法を示した資料」「師範学校学生の植物素描画」などの資料を見せながら「当時の学校教育の方針として、言葉だけで教えるのではなく、イメージを伝えることが重要視された。そのため当時の教材は掛図担っているものが多く、スケッチなども掛図にするところまでが課題の範疇だったようだ」と説明。
「国は昭和初期になると画一的な教育の打破を掲げて『郷土教育』に力を入れだす。研究施設費として1930(昭和5)年に1校あたり1810円(現在の貨幣価値で約370万円)、翌年には4150円(同、約1180万円)が交付されている」「これは郷土を知り郷土愛を育む情操教育を行うことで『日本とは何か?日本人とは何か?』を追求して、愛国心を強めることが狙いだった」と当時の国の時代背景を交えて教育方針を説明した。
戦後1949年、師範学校から学芸大学へ昇格した際には「同窓会新聞『紫郊新聞』で在校生が喜びの手記を書いている。当時、大学になるにはかなり基準が厳しかったので、学内でも半信半疑だった様子だったことが分かる」と吉江さん。その後、1966(昭和41)年に京都教育大学に名称変更して現在に至る。
吉江さんは「今年度は創立140年であるとともに、教育大学になって50年になる。京都の教育の歴史そのものがミュージアムで展示品されているので、ぜひ足を運んで頂きたい」と呼びかける。
同大学の広報課によると「来年度の公開講演会は『震災と向きあう もし伏見に地震が起きたら』をテーマに行う予定」という。