今日4月19日は、戦国時代の軍師・黒田官兵衛の命日。黒田は1604年に福岡藩の伏見屋敷(京都市伏見区深草大亀谷敦賀町)でその生涯を閉じており、伏見との縁は非常に深いものがある。
かつて伏見は、豊臣秀吉が築城した伏見城の城下町として栄えた。大名や家臣の屋敷が立ち並び、大名や家臣間の交流も盛んだった。その大名間の交流から誕生したのが「酒は飲め飲め 飲むならば」の出だしで有名な黒田節。
1596年の正月、黒田家の家臣・母里太兵衛は、黒田官兵衛の名代として福島正則の伏見屋敷へあいさつに行った。その際、酒宴となり、福島正則から大杯を差し出されて「この杯を飲み干せたら、好きなものを褒美で取らせる」と勧められ、「ここで尻込みしては黒田武士の名が廃る」とばかりに、見事に飲み干した。その時、手に入れたのが名槍(めいそう)「日本号」で、呑(の)み取りの槍(やり)とも称された。この逸話がうたい継がれて、民謡となったのが黒田節だ。
黒田節の発祥を示す駒札は、御香宮神社の表門の横(伏見区御香宮門前町)にある。福島正則の屋敷は、伏見区桃山福島太夫の地名でその名をとどめている。
参考文献=伏見城下町図(月桂冠大倉記念館・蔵)、諏訪勝則さん「黒田官兵衛-『天下を狙った軍師』の実像」(中公新書)、渡邊大門さん「黒田官兵衛 作られた軍師像」(講談社現代新書)