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京都・豊臣秀吉最後の醍醐花見、一世一代の花見に掛ける情熱秘話

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京都・豊臣秀吉最後の醍醐花見、一世一代の花見に掛ける情熱秘話

醍醐寺の桜。秀吉の醍醐の花見の桜の木は残っていない

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今日4月20日(旧暦3月17日)は、豊臣秀吉が1598年に醍醐寺(だいごじ)三宝院裏の山麓で行った「醍醐の花見の日」に当たる。

醍醐寺三宝院横から仁王門そして山並みを仰ぐ

 醍醐寺三宝院公室の長瀬福男室長は「醍醐寺中興の祖である第80代座主の義演准后と秀吉の縁により実現したとの記録がある。前年に醍醐寺に来た秀吉が花見の実施を決めていたようだが、実際1598年の旧暦2月9日に徳川家康と、翌10日には前田利家と共に再び醍醐寺に来た上で、三宝院裏山の山麓である槍山で宴を催すことを正式決定して2月13日には工事に入っている」と説明する。

 記録に残る700本の桜の木は滋賀県や山城各地から集められ、会場周辺に植えられた。桜を植える工事は2月19日に完了するスピード工事だったが、秀吉は工事途中の2月16日、工事完了翌日の20日だけでなく、その後も23日、28日、3月3日、11日、15日に醍醐寺を訪れた記録が残っている。

 醍醐の花見は秀吉、北政所(きたのまんどころ)、淀殿、前田利家、その妻まつ、それ以外は大名の奥方など女性のみで総勢1300人が参加した。

 伏見城から醍醐寺までの行列は諸大名の大警備の中で行われ、醍醐寺到着後は槍山へ移動。会場には殿舎、庭園、茶屋が並び、茶会、歌会が行われた。

 長瀬さんは「秀吉のこの花見に掛ける情熱が分かる記録で貴重だ」と話す。秀吉はこの5カ月後に亡くなることとなる。

 醍醐寺では、現在も毎年4月の第2日曜に「豊太閤(ほうたいこう)花見行列」を催している。

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