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伏見・桃山は江戸時代のタウンページで使われ定着した名称 歴史研究グループが発表

桃山の地名が初めて使われた「伏見鑑」

桃山の地名が初めて使われた「伏見鑑」

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 伏見の歴史を研究するグループ「伏見城研究会」が御香宮神社(京都市伏見区御香宮門前町)で11月18日、桃山の地名の由来などの研究成果をまとめた書籍「俯水録想(ふしみろくそう)」の刊行・記者発表を行った。

伏見鑑と俯水録想

 「伏見城研究会」は1974(昭和49)年に、御香宮神社の三木善則(そうぎよしのり)宮司が中心となって設立した研究会。1969(昭和44)年から三木さん、星野猶二さん、高嶋勲さんが行ってきた瓦などの伏見城遺物収集活動が拡大発展する形で、研究会になった。これまで「伏見城下(豊後橋町)・発掘調査」「淀城・発掘調査」「淀城天守台・発掘調査」など、京都における近世考古学の先駆けとして大きな成果を収めてきた。

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 現在は考古学だけではなく、伏見城下や伏見周辺地域の古代から現代に至る歴史を研究対象として、伏見に所縁のある約20人の会員が研究活動をしている。

 御香宮神社禰宜(ねぎ)で会長代行の三木善隆さんは「現在、父親でもある三木会長(宮司)が病気療養中のため、私が会長代行を務めている。創設時の中心メンバーだった星野さん、高嶋さんがお亡くなりになった後、京都府立大学教授の堀内明博さんが古地図や古文書調査で支えて頂いた。しかし堀内さんも突然お亡くなりになってしまい会の存続が危ぶまれた時に助けてくれたのが、今回の書籍刊行でも中心になって活動している西野浩二さん」と研究会の歴史を説明する。

 「西野さんの呼びかけで、若林正博さんなどの会員も加わり、研究成果の発表などを行う集会を月に一度開催する形になった。その流れで現在の史実に基づいた研究・発表を行うというスタイルになっていった。今回の書籍刊行は新しい研究会になってから最初の研究発表をまとめたもの」とも。

 今回の「俯水録想」では7世紀~8世紀の考古学を専門とする西野さんが「山科西野山古墓に関する考察」を、伏見の歴史研究家で伏見の町歩きツアーのガイドも務める若林さんが「伏見城跡地の変遷と地名としての桃山の定着」「堀内村(現在の伏見区桃山学区一帯)沿革史」を執筆した。

 桃山の地名は伏見城跡とその周辺に桃が植えられたことに由来するとされている。しかしいつから公に使用されたかは、これまで明らかになっていなかった。

 若林さんによると「今回、御香宮神社に保存されていた『伏見鑑(ふしみかがみ)』という1780年に発刊された本でその名前を発見した。『伏見鑑』は現代でいうタウンページのような本で、観光案内的な要素も盛り込まれている」と説明。

  「この本と同じ年に発刊された『都名所図会』にも伏見城跡に関する記述があるが『桃木原』『城山』などと書かれている。しかし7年後の第2巻では『桃山』となっている。これは『伏見鑑』で使用された『桃山』の名称が定着して、他の書籍にも広がっていたと見るのが正しい」と話す。

 「俯水録想」は非売品のため基本的に販売はしない。京都市内の公立図書館に寄贈する予定になっている。

 西野さんは「今後も史実を丁寧に拾い集めて研究・発表していきたい。少しでも地域の方に伏見の歴史に興味を持って貰えたら嬉しい」と話す。

 「俯水録想」に関する問い合わせは御香宮神社(TEL 075-611-0559)まで