148年前の1868年1月27日(旧暦1月3日)は鳥羽・伏見の戦いが勃発した日だ。伏見は激しい市街戦に巻き込まれ、船宿、町家などはことごとく焼失するなど、大きな被害を受けた。
御香宮神社(伏見区御香宮門前町)は、鳥羽・伏見の戦いでは薩摩藩を中心とする新政府軍の本陣として使わされるなど大きな役割を果たした場所。ここから150メートル南方の伏見奉行所(西奉行町・桃陵団地)に陣取る旧幕府軍(京都見廻組、会津藩、新撰組など)に対して砲撃が加えられ、奉行所が炎上後に激しい市街戦となり、旧幕府軍は淀方面へ撤退した。
現在は静寂が漂う御香宮神社自体は伏見奉行所よりも高台に位置していたのと、大砲などの火力で圧倒したため戦禍は免れた。境内に残る戦禍の跡では、焼けて変色したちょうず鉢が有名。このちょうず鉢は、建築家・作庭家として有名な小堀遠州が伏見奉行時代に、伏見城の礎石などを利用して造った庭にあったもの。奉行所が焼け落ちた際に焼けて変色した。それらの石材を御香宮神社が譲り受け、1961(昭和36)年に作庭した石庭(有料)にある。
境内の拝観は自由(社務所受け付け=9時~16時)。
御香宮神社
■住所:京都市伏見区御香宮門前町174