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京都市歴史資料館で「よみがえる伏見城展」 焼け焦げたおにぎりなど貴重な資料も

伏見城攻防戦時に焼け焦げたおにぎりや鬼瓦

伏見城攻防戦時に焼け焦げたおにぎりや鬼瓦

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 京都市歴史資料館(京都市上京区寺町通丸太町上る松蔭町)で開催されている「よみがえる伏見城展」で8月17日、展示解説が行われた。

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 近年、伏見城付近では発掘調査が数多く行われ、これまで遺構が残っていなかったため「幻の城」とされてきた指月城(しげつじょう)の城の遺構が発見されるなど、大きな成果を上げている。伏見桃山城の模擬天守閣を管理する会社「桃山城」から、同城に収蔵されていた展示品が京都市に寄贈されたのをきっかけに、指月城や伏見城、桃山の歴史に関する資料を展示することになった。

 展示物は「伏見城の造営から廃城の歴史」「伏見城周辺の発掘物」「廃城後の桃山の成り立ちや歴史」の3つのコーナーに分けて展示されている。

 この日の展示解説には約50人が参加。それぞれの展示の解説を同館の井上幸治さんが行った。井上さんによると、「伏見に城が存在した期間は約30年と短いが『第1期伏見指月城』『第2期伏見指月城』『第1期伏見城(秀吉伏見城)』『第2期伏見城(家康伏見城)』に分けられ、それぞれ場所や曲輪(くるわ)の形が異なるなどの特徴がある」と解説。

 展示物では、指月城造営時に寺院を立ち退かせた記録や京都の寺町の各寺院に余っている木材の有無を確認・提出させるなどの書類があり、「これらはどのようにして秀吉が城を造営したのかを知る上で貴重な資料」と話した。「関ヶ原の合戦前に石田三成が伏見城を攻撃した際に城が炎上・焼失したが、その際に燃えたと思われる焼け焦げたおにぎりや鬼瓦、焼失直後に城を見に来た小大名の手紙なども面白い」とも。

 桃山の歴史のコーナーでは「1623年の廃城後に桃が植えられて桃山と呼ばれたが、実際は城跡には植えられず大名屋敷があった山裾が桃畑となった。しかし桃は安価でもうからなかったので、幕末の海外貿易が始まったころにはお茶畑に変わった。1894(明治27)年に『桃山御料地』と公式に桃山の名称が使われた時には、桃はほとんど残っていなかった」と説明した。

 伏見城発掘コーナーでは「大名の財力によって瓦の文様が、大名オリジナルか既製品かに分かれる。当時の大名の石高と照らし合わせて見るのも面白い。興味ある方はぜひお越しいただきたい」と呼び掛ける。

開催期間は8月30日まで。月曜休館。入館無料。

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