タモリさんも堪能した伏見豊臣地形ツアー 首都だった理由を段差から読み解く

伏見城の堀跡で説明するガイドの梅林さんと聞き入るツアー参加者

伏見城の堀跡で説明するガイドの梅林さんと聞き入るツアー参加者

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 京都をうろうろ歩くミニツアー「まいまい京都」主催の伏見ツアーが5月26日、開催された。

地名に残る福島正則の名前

 5月に放映されて歴代1位の視聴率を記録した「NHK ブラタモリ #37京都・伏見」でタモリさんを案内した、ガイドの梅林秀行さんと伏見を歩く同ツアー。歴史や地形が好きな18人が参加し、ほとんどが5回以上ツアーに参加しているベテランだという。

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 ツアーではまず伏見の坂道を歩きながら、豊臣秀吉の城下町の作り方やその目的を探った。

 丘陵地を開拓する場合、通常なら等高線に沿って道は作られるので曲線になるが、伏見は城に向かって伸びる道と交差する道も全て直線に作られているため、段差やうねりが至る所にあるのが分かる。梅林さんによると、「日本でこのように等高線を無視して作られた町は珍しく、他では平城京くらいしかない」という。

 さらに坂道を上っていくと、所々に大きな段差があり住宅地となっている。「これこそが首都だった証し」と梅林さん。「この段差は秀吉によって造成された土地で、当時は大名が住む屋敷だった。伏見は『桃山福島太夫西町』や『桃山毛利長門西町』などの地名があるが、ここは福島正則や毛利輝元の屋敷があった場所」と説明。全国の大名をここに集めて住まわせることができた豊臣政権の絶大な権力をうかがい知ることができるという。

 伏見城跡(伏見区桃山町大蔵)では北堀公園を巡った。同公園は、最大幅70メートルの超巨大な堀だった北堀の跡地がそのまま公園になっているもので、公園(堀底)に下りるとスケールの大きさが分かる。「ここまでの巨大な堀は、江戸城と大阪城にしかない」と梅林さん。

 「伏見城の本丸周辺は明治天皇陵となっているため立ち入ることができないが、伏見城の遺構は非常に良い状態で残っているので、豊臣秀吉の土木工事のスケールの大きさを見てほしい」と呼び掛ける。